麻酔時の説明義務違反
Top 最終更新日 2019/07/23

■ 麻酔時の説明義務違反の判決

※ 手術の判断や手技や、ショック後の救急処置よりも、手術(麻酔)の同意が適切になされているかが問題だった。

# 昭和52年4月13日 広島高裁判決

# 判決の要旨: 医師と患者との間に診療契約が存する場合でも、患者に特別の危険を伴う診療行為については、応急の場合その他特段の事情ある場合を除き原則として個別の承諾を必要とし、その承諾を得るについては患者が右診療行為に伴う危険を認識し又は当然認識すべき場合を除いては、これに先立ち医師がその説明を与えることを要し、右説明を欠く承諾は、有効な承諾とはいえず、かかる承諾のもとになされた診療行為により患者の生命身体を害したときは不法行為が成立する。

# 主文
・ 原判決を次のとおり変更する。
・ 被控訴人は控訴人に対し、七七〇万円及びうち七〇〇万円に対する昭和四八年七月二〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
・ 控訴人のその余の請求を棄却する。
・ 訴訟費用は一、二審を通じ、その四分の一を控訴人、その余を被控訴人の負担とする。
・ この判決中控訴人勝訴部分は、仮に執行することができる。

# 耳鼻科における副鼻腔炎の手術時
・ 術前管理のため右手術前日の七日午後八時頃本件患者を右医院に入院させ、血圧測定、視診、触診、聴診等により身体に異状のないものと認め、同日午後一〇時頃精神安定剤インシドン五〇ミリグラムを投与し、翌八日午後一時三〇分頃鎮痛鎮静剤ンセゴン一五ミリグラム、午後二時三〇分頃前麻酔薬弱オピスコ〇・二CCの各皮下注射をし、その間本件患者の状態につき自ら監視をした。
・ 本件患者に対し、局所麻酔薬アドレナリン加〇・五%塩酸プロカインを同日午後三時頃から三回にわたり約一分間隔で、右顔面翼状口蓋神経節部、右顔面三叉神経第二枝幹、右上顎粘膜及び下眼・神経孔周辺に合計約一〇CCそれぞれ注射し、その後約五分間容態を観察し異状のないことを確かめ、さらに右薬剤五CCを右鼻腔下鼻道粘膜及び下甲介粘膜周辺に注射した。
・ 右四度目の注射後間もなく、本件患者は熱感、胸内苦悶感を訴えたのち、顔面四肢の痙攣が出現し、さらに顔面蒼白・口唇チアノーゼを呈し、呼吸困難となつた。
・ 本件患者が右シヨツク症状を呈するや、直ちにまず〇・五%ビタカンフア一CC二本を皮下注射し、口唇チアノーゼ、呼吸不全を認めた際、〇・三%塩酸ロべリン一CC二本を皮下注射し、同時に酸素吸入をするため、口部にマスクを当てたが、その時既に呼吸停止しており、同医院備付の装置で酸素吸入を行うには、人手を要し、また患者の顔面の様子が観察できないのでこれを断念し、自ら毎分六〇回の割合で両手で胸部を圧迫する非開胸心マツサージをなすと同時に、補助者Cをして用手人工呼吸法をさせ、同Bをして〇・五%ビタカンフア一CC一本の皮下注射、ぶどう糖二〇CC二本の静脈注射をさせた。しかし、午後三時一五分頃心音、呼吸の停止が確認され、その後三〇分間被控訴人の右心マツサージ、Cによる用手人工呼吸が続けられたが、蘇生するに至らなかつた。
・ 被控訴人の医院には、患者のシヨツク症状発生等に備えて、救急用として酸素吸入装置(但し、与圧装置=バツグを欠く。)、酸素ボンべ、緊急用気管切開器、補液用のぶどう糖注射液その他被控訴人主張の薬剤を用意していた。

# 本件患者の解剖所見と前記2の経過によれば、Dの原審鑑定及び当審鑑定証人尋問の結果に徴し、本件患者の右シヨツク症状はブロカインの相対的過量に基く遅発性中毒反応であつて、これをその死因と断ずることができる。

# 裁判所の判断
・  一般に、医師の診療行為は患者との診療契約に基くのを原則とするところ、診療契約に基き医師の負担する基本的債務は、医師(善良な管理者)としての判断に基いて適時適切な診療行為をなすにあると解せられ、診療行為の内容については医師の裁量に委ねられたものとみるべき範囲は相当広汎である。しかし、診療行為も患者の身体に対する侵襲である一面を有するものの多いことは否定し得ず、かような診療行為については、仮にそれが医師としての適切な判断に基づくものであつたとしても、なおことの性質上患者の承諾を待つてはじめて許容されるものというべきであるが、単に診療契約を結んだということだけでそのすべてにつき有効な承諾があつたものとは解することは困難である。本件手術のように患者に特別の負担・危険を伴う診療行為については、応急の場合その他特段の事情ある場合を除き原則として、個別の承諾を必要とすると解すべきである。
 そして、右承諾の意味に関し、医師の患者に対して診療の対象たる疾患及び診療内容につき説明を与えるべき義務の存否・内容についてはなお論議を待つべきものがあるが、その専門的知識と技能に基き診療行為を許容されている医師と一般人たる患者との関係に鑑みれば、患者に特別の負担・危険を伴う診療行為については、患者が右診療行為の意味(これに伴う危険を含む。)を認識し又は当然認識すべき場合を除いては、これに先立ち医師がその説明を与えない限り、右行為に対する有効な承諾がなされ得るものとは考えられない。したがつて、右説明を欠く承諾は、通常有効な承諾とはいえないと解すべきである。
・ 被控訴人は、医師として本件患者の求めに応じてその慢性副鼻腔炎の治療を行つていたものである。しかし、本件患者はもとから手術を予定して被控訴人の治療を求め、受診を継続していたものとはいえない。
 そこで、被控訴人が右疾患の治療として前記手術を施行しようとしたのが適切か、本件患者がこれに有効な承諾を与えたといえるか否かを次に検討する。
 本件患者の右副鼻腔炎は、前記治療経過からすると、右手術施行時において、もはや保存的療法による治癒は期待できず、特段の支障の認められない限り、右手術の施行は医学上相当なものである。
 本件患者のように胸腺リンパ体質の者はさほど多くなく、しかも、シヨツク症状発現前にこれを識別する方法は存しないから、患者がこの体質であるかもしれないとして右手術を回避すべきものといい得ず、本件患者にその他右手術の支障となるべき事由は認められない。
 しかし、胸腺リンパ体質の患者は、稀ながら存在し、この事実は被控訴人もこれを認識していた(被控訴本人尋問結果ー原審第一回ーにより認める。)ところ、右体質の存否はあらかじめ識別できない以上、この体質を有する患者に対し手術のため麻酔薬を施用し、これによるシヨツク症状が発生し場合によつては死に至ることがあり得るわけで、この可能性については医師たる被控訴人はこれを予見し、すくなくとも予見すべきであつたことが明らかである。
 そこで進んでこの場合における生命維持の方策・可能性について言及すると、右シヨツクのうち大半を占めるのは、本件において現に発生した麻酔薬の相対的過量に基く遅発性中毒反応であるから、これに限つていえば、耳鼻咽喉科等の医師一般の能力・設備をもつてしては、適切な処置を講じ得ないため、死の結果を未然に防止することを必ずしも保し難く、本件にあつても、後記のようにシヨツク発生後において医師(被控訴人)あるいは補助者らに、すくなくとも重大顕著な過失がないにも拘らず患者が死亡している。一方、もし、手術及び術前処置が麻酔医の立会及びその他救急設備の完備した条件下でなされた場合には、シヨツク発生に拘らず死に至る場合は皆無に近い。
 ところで本件患者の前記疾患は重篤ではなく、手術が相当とはいえ、その時機を争うようなものでもない。したがつて、手術及び術前処置に伴う危険につき、本件患者がこれを的確に認識した場合でもなお、被控訴人による手術を選択したか否かは疑わしく、控訴人として右手術を延期ないしは取止めにし、または他の救急設備の完備した条件の下での手術を選んだであろうことも十分に考えられるのである。そして、そうであるとすれば、被控訴人としては本件患者に右手術及び術前処置とこれに伴う危険に関し、一切の細目に及び教示を要求されるわけではないが、右危険すなわち、副作用たるシヨツクないしこれに因る死亡の結果の重大性に照らし、右シヨツク発現の可能性はその頻度がさほど大きくないにしても患者が右手術を承諾するか否かを決するに重要な要素とみられるべき範囲に属し、医師として事前にこれを説明すべきものといわなければならない。そして、右説明の義務は、後記3(五)に説くとおり救急措置に欠陥ありとしながら結局医師に過失なしと判断される本件のような場合においては特に強調されるべきものと考える。
 しかるに、本件全証拠によるも、被控訴人が本件患者に対し事前に自己の施行すべき右手術に伴う副作用の危険につき説明を与えたと認め得ず、かつ、本件患者がこの点につき自ら認識していたと認めることもできない。
 よつて、被控訴人の本件患者に対する右手術の施行はその有効な承諾を欠いていたものといわざるを得ない。

・ その余の点については、本件事故に関し被控訴人にその責を問うことができない。すなわち、
 (一) 医師は、その表示する診療科目に属する通常の診療行為をなす場合には、その時点における医学水準に照らし、その科の臨床医一般に要求される注意義務を尽くすことが要求され、またその程度をもつて足るのを原則とする。
 被控訴人の本件患者に対する副鼻腔炎の治療は、本件手術についても、耳鼻咽喉科の診療所を営む臨床医の日常的な診療の範囲を超えないことは、原審証人Eの証言、被控訴本人尋問結果(原審第一回)により明らかであり、右手術施行に際し、麻酔科の専門医の関与が要求されるわけでもなく、また手術施行者たる医師に麻酔科専門医に要求される注意義務が存するとはなし得ない。
 (二) 被控訴人の本件注射より前の診療行為については、本件患者を前日入院させて、所要の検査、投薬、監視等の診療をなし、かつ手術に適応する身体条件の保持を図り、異状を認めなかつたため、予定どおり本件注射をするに至つたもので、医師としての注意義務に欠けるところはない。
 (三) 本件注射自体については、これに使用した塩酸プロカインは、局所浸潤麻酔に利用し得る薬剤中、最も副作用の小さいものであり、また、その量も常人の安全使用量の一〇分の一以下であつて、これを患者の容態を観察しながら数分間に血管外に分注した方法もまた適切である。以上のとおり適切を欠く点は存しない。
 (四) また、被控訴人は本件患者のシヨツク症状発生後遅滞なくこれを発見し、救急措置を開始しており、この点にも落度はない。
 (五) しかし、被控訴人のとつた救急蘇生術は、客観的にいえば種々の欠陥がある。すなわち、
 麻酔薬による中毒症に対する処置として必要なのは、呼吸と循環の確保にある。前者に最も効果的な方法は一〇〇%酸素による人工呼吸であるが、当時これに適当な器具の備付がなく(与圧装置がないため利用し得なかつた。)、用手人工呼吸も気道閉塞の有無を確認した形跡すらないので、気道を確保したうえ適当な方法でなされたと認め得ない(相当の訓練を経たものでなければ有効な用手人工呼吸はなし得ないところ、被控訴人や補助者がその能力を有したと認められない。)。また、静脈点滴の確保もなされない。心マツサージは呼吸停止の状態では効果を認め得ないところ、前記のとおり有効な人工呼吸はなされていないのであるから、これまた効果がない。皮下注射はその薬効はともかく、当時の循環状態では無意味である。以上要するに救急蘇生術として有効適切な措置は全くとられなかつたというほかはない。
 また、被控訴人の医院に用意していた酸素吸入装置等の設備は、食道気管科を併せ表示する医院としては不十分ということができる。
 しかし、耳鼻咽喉科の臨床医が屡々施行する副鼻腔炎根治手術及びその術前麻酔に、麻酔医、すくなくとも救急蘇生術に練達した補助者を関与させることを要求することはできず、麻酔医等が現在しない限り、シヨツク発生後死亡まで極めて短時間であることに鑑みると、本来被控訴人らに有効な救急措置を期待することは困難であり、たとえ救急器具が完備していたとしてもこれを適切に利用して有効な救急蘇生術を施し得るものと断ずることはできない。
 結局、この点についても、被控訴人の責を問うことはできないことに帰する。

 以上に述べたとおり、本件患者の死亡は手術のために施用した麻酔薬の注射に基因するものであつて、右手術ひいてはそのための本件注射は本件患者の有効な承諾を経ない点において違法であり、被控訴人は不法行為として、本件患者の死亡により生じた損害を賠償すべき義務がある。 

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